生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2023-11/22 本日②

長い。長いです。

私の人生を通して、本との関わりを書いていますが、度々脱線するため、無駄に長くなっています。

でも別に誰も読まないからいっか、と思います。

 

・もし前世があるのなら

唐突だが、もし前世があるのなら、私は小説家だったんじゃないかと思う。多分、中々売れなくて、ギリギリの生活をしながら、それでも文豪に憧れていた貧乏小説家だ。小説家と呼んでいいのかすら怪しいほど、作品の数も少なかったのかもしれない。自分には才能なんて無いと分かっていても、小説を書き続けて、楽しく生きたのだろうと、そんな気がする。

 

・幼少期

私は小さい時から、本が好きだった。というか、私の傍にはいつも本があった。私が物心つく前から、お母さんは私に絵本を読み聞かせていて、私にはお気に入りの絵本があったらしい。幼稚園生の時に、アンパンマン図鑑とカーズの本を飽きるほど読んでいたのは、なんとなく覚えている。

幼い頃の私は、母いわく、一言で言うと、よく喋る子だった。とにかく、ずっと永遠と喋っていたらしい。多分、生まれた時から自分の思っていることを伝えたくて仕方がなかったのだと思う。

 

・女の子がお菓子を作る かわいい本

小学二年生になって、私は引っ越して新しい学校に来た。この時の私はまだ、口がよく回る生意気なクソガキだった。とにかく自分の言いたいことを言い、やりたいことをやっていた。これは偏見だが、小学生なんてみんなそんなものなので、友達はちゃんといた。友達も生意気なクソガキだった。そんなことはともかく、私は新しい学校に来て、初めて図書室へ入った。その時の感動は今でもなんとなく覚えている。前の学校とはうってかわり、図書室は広くて綺麗で、本棚がずらっと並んでいて、すごい!と思った。私が児童小説を読み始めたのは図書の時間だった。新しい学校の、綺麗な図書室に来て、少し背伸びをして、かわいい表紙の児童小説を読んでみたのだ。女の子がお菓子を作るシリーズものの本だ。あれが本当に好きで、何冊も読んでいたので、よく覚えている。

それと、この頃には作文を書く授業が楽しみだったという記憶がある。前に私が小学一年生の時に書いた文章を読んでみたのだが、意外と字が綺麗で、しかも良い文章だった。

 

・担任の先生に感銘を受ける

私が小説を書くようになったのは、この先生の影響もあると思っている。話すと長くなるので割愛するが、とにかく彼は良い先生で、松岡修造的な、しかし、もっと柔らかくて子供向けな、そんな言葉を使う、温かい先生だった。見た目は怖かったが。私の小学校生活6年間において、この先生のクラスであった1年間は、間違いなく黄金期であった。私はその先生の使う言葉や価値観に感銘を受けた。我儘だった私は、思いやりや、協力するといった社会性を身につけ、言葉ってすごい!と思うようになっていた。言葉って人を傷つけちゃうけど、人を助けることもできるよね!言葉で世界は救える!!!なんてことを本気で信じていたのだ。

そんな幼い私は、文章を書く楽しさに目覚め、この頃から自作小説を書いていた。とは言っても、当時好きだったアニメやゲームのパクリのようなものだ。

 

・私は小説家になる!→現実

小学四年生の時には、高学年向けの小説も読むようになり、五年には、五分後になんとかシリーズや、悩み部シリーズを読んでいた。

他には、サッカク探偵団だとか、アネモネ探偵団を読んでいた。(アネモネ探偵団の続編が無くて、かなりショックを受けた。)

その頃には、休み時間に図書室へ行くようになっていた。すっかり読書の虜となり、文章を書くことも大好きになっていた。いや、大好きなんてものじゃなく、私は小説を書いて世界を変える!絶対小説家になる!と思っていたし、信じていた。両親や友達にも堂々と、私は小説家になるの!と言っていた。そんな希望に溢れた少女は、紆余曲折を経て、現実を知り、陰キャぼっちとなったのである。

 

・こじらせ陰キャ暗黒期を超えて

色々あってこじらせ陰キャになってしまった私は、家で本を読まなくなっていた。あれだけ好きだった文章を書くこともなかった。自分には才能なんて無くて、小説家になんかなれないと知ってしまったからだ。家に帰ったら即ゲーム。インターネットだけが私の居場所。そんな日々に、ある日光が指した。私の人生最大の推しが現れたのである。私の人生において、この推しは最も重要な人物だと言ってもいい。

ここまで書いておいて認めたくないが、私はある日、その推しのBLカップリングイラストを見つけた。それは人生最大のカルチャーショックであった。えっ?2人は仲良いだけだし、、。仲良いだけ?仲良い、、、恋ってコト…?!恋仲!?!?!?

私は、私の大好きな推しが、相応しい人に好意を向けられ、愛されている、という妄想が、どれだけ幸せなことなのかを知った。それからというものの、私は推しをベタベタに愛でるゲロ甘二次創作CP小説を書きまくった。黒歴史である。そうして私は、とても不純な動機で、文章を書く楽しさというものをまた思い出した。

 

・書きたい

それからというものの、私の日常にまた、小説が戻ってきた。本を読むようになり、文章を書くようになった。ただ、自分の創作小説だけが書けなかった。設定を思いついても、いくら書きたくても、書き出すことができなかった。この時の私は、小説家になりたいとはもう思っていなかった。ただ、自分の小説を1つでいいから書きたいと思っていた。

そんなこんなで月日は過ぎ、今に至る。私はまだ、創作小説を書けていない。けれど、絶対に書きたいと思っているものができた。まだ書き出せていないが、少しづつ設定を書いたり、調べたりしている。この物語だけは、大人になる前に書きたい。

 

・書くこと

私にとって、書くことは幼い時からずっと日常の中にあった。私は文章を書くのが好きだ。話すのはいつの間にか苦手になってしまったけれど、文章ならばすらすらと言葉が出てくる。書く度に自分の稚拙さや語彙の不足を感じるけれど、それでも、書くのは楽しいし、私は書かないと生きていけないのだと思う。文章を書き終わるといつも、生きている実感がして、心が穏やかになっている。私は小説家にはなれないけど、それでも私は小説を書くのだと、今は思っている。

 

・現実

そんなこんなで自分の人生を長々と語り、書き始めてから1時間も経ってしまった。私は今、軽く後悔している。しかし、まだ12時だ。まだ大丈夫。すごく眠いし、やろうと思っていたこともやりたいと思っていたことも出来ていないけれど。まぁ、人生というものは、そんなものなので、仕方がなく風呂に入ろうと思う。さっき文章を書き終えると心が穏やかになると書いたが、それは嘘である。私の心は今、現実に帰りたくねぇ〜、、ずっと文を書いて現実逃避したい、、という思いでいっぱいである。

そもそも、私は7時に風呂に入ろうと思っていたはずだ。それに、さっきまで10時だったはずだ。おかしい。絶対におかしい。この世界は間違っている。そんなことを嘆いても仕方がないので、仕方なく、本当に仕方なく、風呂に入ろうと思う。まったく、この世界にはガッカリした。どうせ今日も、夜更かししたいのに、風呂を上がったらすぐに寝てしまうのだろう。

そんな日々も愛おしいと言えるのは、現実逃避している今だけだ。