生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2023-12/12 本日 絵の展示の準備に行った

・夜警

頭の中で、夜警が流れていた。

(真っ赤な眼の高層ビルがまばたきしている

夜をこするように立つ

不出来な世界を腐している)

タニタツヤの夜警という歌。

 

私は今、家に着いて手を洗ったりして、すぐに椅子に座ってこれを書き始めた。私の頭の中で夜警が流れ出していたのは、さっき帰り道で、信号を待っていた時のことだった。外はもう暗く、横断歩道を車が横切っていく。雨露に濡れた道路は車のヘッドライトの明かりを反射している。空気が少し冷たい。

信号が青になって、隣に待っていた自転車が私より先に走り出して行った。私も足を動かした。その時、風が吹いて、女性が私を抜かしてせかせかと歩いて行った。重たい頭と虚ろげな眼で思った。私はどうして歩かなきゃいけないんだろう。どうして足を止めてはいけないのだろう。私は、今ここで立ち止まって文章を書きたい。今の思いの全部を、何も美化せず、素直に飾りげなく、書きたい。それなのに、私は家に帰らなきゃいけなくて、立ち止まって文章を書く場所は、ここには無い。なんだか、それを思って、すごく嫌な気分になった。私は今、思考しているのに、文章を、思いを生み出しているのに、どうして今それを残しておくことが出来ないのだろう。結局、家に帰ってやることは、今この時感じていた私の気持ちの、光景の、再出力でしかない。それも、とても不正確な。前のせかせかと歩く女が、怖いのか1度2度と、振り返って私を見てきた。どうしてそうも闇が怖いのだろう。人間が怖いのだろう。あなただって闇で、人間なのに。私は少しも怖くなかった。怖いと思う心の余裕が無かった。ただ頭が痛く、重く、現実感が無かった。生きている心地がしなかった。

その時思ったことを、これから文章にしてなぞる。あの時思った気持ちも何もかも、ほとんど見えない薄い線で、正確になぞることは不可能だ。それでも、私は私が思っていたことを、文章として残したい。私は何も忘れたくないし、私は、私の気持ちだけはわかっていたいからだ。

ここからは再演です。

暗い夜に包まれた道を、歩いていた。反対側からたまに人が歩いてくるぐらいで、静かで、夜の少しの冷たさが感じられた。

タニタツヤの曲は、優しい闇だ。生ぬるいお風呂のような。体を冷やすことも、温めることもできない。生ぬるい水は消えることなく、少しずつそれに浸かっている私の肌色を溶かして、浸かっていることさえも忘れてしまう。そんな風に安心させてくれる。もちろん、そうではない曲もあるけれど。夜の信号機の、コンビニの光のようで、月や星の煌めきみたいに綺麗ではなくて、朝が来れば消えてしまう。朝日で体に穴が空いて、感覚もないまま、透明になって消えてしまう。そんな歌だと思う。

私は大体のキタニタツヤの曲は、現実逃避したい時や無気力な時、病んでいる時に聞く。何もかも忘れたい時はクラブ・アンリアリティーを聞くし、朝が憎い時は夜がこわれるを聞く。夜に浸りたい時はSadGirlを聞き、透明な11月の空気を感じたい時は、人間みたいねを聞く。その中でも、夜警は、どこかへ行った帰りによく頭の中を流れる。どこかというのは、いつも行っている場所ではなくて、普段行かない場所や、もう来ないだろう場所に行った時。そういう日の、帰りの車や、電車やバス、歩いている時に人間や灯りを見て、ふと頭の中を流れる。夜の車で高速道路を走っている時は、高速道路の街灯や、走っている車を見て思う。電車に乗っている時は、前の席の人とか、外の景色の灯りを見て思う。

 

イチョウの葉を踏んで歩く

帰ろうと駅まで歩いていて、道端にイチョウの木があった。黄色い葉が地面にたくさん落ちていて、私はそれを踏んで歩いた。空は白く、曇っていた。雨が降り出しそうだと思ったが、結局家に着くまで雨は降らなかった。そう思ったのは、雨が降って欲しかったからなのかもしれない。イチョウの葉も、人々の騒々しさも、雨に流されて、無くなってしまえばいいと思ったのかもしれない。

私はもう帰るというのに、空はこれから段々と暗くなり、明日が来て、私も明日が来るために準備をしなきゃいけないというのに、反対側から歩いてくる人達がいた。明日仕事が休みなのか、まだ帰らないのか知らないが、それが憎かった。前を歩く人の靴音が頭の中を響く。私は疲れていた。肩が重かった。団体がうるさく話す声が聞こえていた。駅が近づいてきて、たくさんの人がそこに吸い込まれていく。帰りたいと思った。私も同じように、改札を通り、吸い込まれていった。

 

・電車のなか

電車は混んでいた。平日の夕方の時間だったから、混むのは当然だった。人でぎゅうぎゅうになった電車は無機質に進んでいく。私の頭は空っぽだった。今日あった全てのことが無意味に思えた。たくさん絵を見た。けれど、そのどれもすごいものに思えなかった。私の絵もちっぽけに見えた。窓から見える街の景色を見ていた。私は、いつか絵が描けるのだろうか。私だけの、私のための、何よりも好きだと言える絵が。今はまだ描ける気がしなかった。私は何がしたいのだろう。私は何を描きたいのだろう。

 

・人々、風景

今日は、絵の展示をするので、(何かに選ばれたわけではない)それの準備に行った。とは言っても、数人いたので、私がやることはあまり無かった。いつものようにぼーっとしていた。ここも、学校の中と変わらないな。早くここから抜け出したい。けれど、周りからは他の学校の人たちの声が聞こえ、足音や作業をする音が沢山聞こえた。本当に、"裏"という感じがして、最初は少し楽しかった。でも徐々に暇で退屈になってきた。

昼休みの時間になり、自由に外に出ていいと言われたので、私は買ったパンをどこかで食べようと建物を出た。公園と密接しているのだが、イチョウの木があちこちに植えられていて、ゆらゆらと舞い落ちる黄色の葉が美しい。なんか座るところないかなぁ、と歩いていると、高らかなトランペットの音が聞こえてきた。歩く人々。笑い声。揺らめく黄色の葉。暖かな昼の光景だった。少し先に、石階段の上に開けている空間を見つけた。近づいていくと、その上はイチョウの落ち葉で一面鮮やかな黄色になっていた。まるで絵のような美しさに、綺麗、と心の中で呟いて、私はその光景に見とれながら、石階段を1つずつ踏みしめていった。黄色の葉の上を歩いてゆく。まるで、何かの物語の中に入ったようで、ここに誰もいなかったのなら、手を広げて回りたいぐらい、嬉しかった。

いくつかベンチがあった。私はその中の1番奥のベンチを選び、付いていた雨粒をタオルで拭き取った。ベンチに座ると、2本の大きなイチョウの木が植えられていた。もう12月だが、今年で1番秋を感じた光景だった。思わずたくさん写真を撮った。(場所バレなさそうな写真だけ)

鳩もいた。私は鳩が怖い。けれど、今日ここに居た鳩は近づいてこないのでかわいかった。と思ったら、近づいてきたのでやっぱり怖かった。でも、人間よりは怖くない。鳥だし。空を飛べるし。

本当に美しくて、私は穏やかな気持ちでいた。他にも見て周り、とても感動したのだが、具体的に言うと場所がバレそうなのでやめる。

 

・鑑賞

休み時間が終わり、同じ展示の人達の絵を見て回った。レベルがめちゃめちゃ高かったし、それぞれ雰囲気が違っていて、描き方も違っていて面白かった。私は絵を見るのが好きだ。絵を見て、自分なりに読み取って、その絵の中の世界だとか、温度とか、空気や光を想像する。私は、その瞬間が好きだ。本を読んでいるのと似ているところがあるかもしれない。

先生は、表面上の技術とか、絵の上手さに囚われないで、自分の良いと思った絵を、自分の心で感じたものを見つけなさい、と言った。けれど、私はそれを当たり前だと思っている。というか、礼儀だと私は思う。自分の心も時間も、今までの経験も、その全てを注ぎ込んで、1つの作品を生み出しているのだから、見ている私たちも、心と時間を使って感じ取るべきだ。もちろん、技術的に上手いかどうかも大事で、それをしっかり見て、自分の作品に生かすことも大切だけど。でも、何より大切なのは、やっぱり自分がどう感じるかだと思う。絵は、自分の感じたものを、感じたことを描くものだから。

良い作品がいくつかあった。この展示の中ではこれが1番好きだな、という作品も見つかった。けれど、私の心に残る作品はなかった。私の心を動かす作品はここにはなかった。それだけが、少し悲しかった。

展示の中で、私の作品なんかは小さく見えた。

 

・私は

帰るに連れ、絵を見たり、イチョウを見て思った感動や、気持ちは、薄れていった。疲れもあったが、何より"終わってしまうこと"が明確になって、私の心は冷えていった。今日の気持ちも、見た絵も、全部消えてしまうような気がしていた。けれど、今これを書いていて、私はまた、その感動やその時思ったことを思い出せた。私は、自分の絵がやっぱり好きだと思えた。上手くないし、構図とか、明暗も、もっとこうした方がいいのにと自分でも思うところがある。決して完璧じゃないし、満足も80%ぐらいしかしていない。だけど、私の絵は、他の誰でもない私だけの絵だった。今、それに気づいた。美術室で毎日一人でずっと描いていた。終わるといつも、手が油絵具でぐちゃぐちゃに汚れていた。でも、それも嬉しく思えた。前より良くなっていると感じた時は、嬉しくて、明日も絵を描きたいと思った。毎日毎日完成に追われていたけれど、なんだかんだ楽しかった。私はやっぱり絵を描くことが好きだった。

もっと絵が描きたい。私の心を、私の思ったことを、もっと色にして、形にして、私だけの世界が作りたい。私の世界をもっと、絵にしたい。

私は絵が上手くない。私は今日見てきた人達のような技術はない。努力や経験の差だってある。だけど、私は私の絵が描きたい。私が良いと思えたならそれでいい。私だけの世界だ。もっとたくさん絵を描いて、色々なことを学んで、もっと絵が上手くなって、私の世界を全部表現できるようになりたい。

見た人に何かを感じ取ってもらえるような絵を。

 

私は最初に、経験した後に文章を書くことは、光景の再出力でしかない、と書いたが、それは違うなと思った。その光景を思い出すことで、その時の気持ちをまた思い出し、さらに、その経験を通して何を思ったのかということを、付け加えることができる。文章も絵と同じところがある。心と時間を使って生み出す。それは、生きていくということなのかもしれない。

 

・頑張るしか

今年が終わる、新しい年が来る。来年からはまぁ色々あって、美術系を週10時間やることになる。怖い。正直、めちゃめちゃ怖い。デッサンも油絵も何もかもまだ初心者なのに。頑張る。頑張るしかない。言えることは、頑張る!ただそれだけ。

デッサン苦手なので、冬休み中に練習しなきゃ、、、。少しずつ1つずつ頑張っていきます。でも、やっぱり絵っていい。描くのも楽しいし、見るのも楽しい。今日の1番の収穫はそれかもしれない。2番目は、四季の移ろいは素晴らしいということ。まぁ、生きてるだけで全てが収穫だし、糧となっている。今日食べたシチューも、めちゃめちゃ美味しいナンも。今日が火曜日で驚いているのですが、今週も頑張ろう。やることがあるけれど。やることが。