生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2023-12/19 本日 エゴに囚われる

・仕事を終えた

今学期最後の仕事を終えた。それがなにかというと、授業の一環で、自分のなりたい職業に関する会社にインタビューをしに行くというものだ。アポも会社とのやり取りも、全部自分たちでやる。私はその課題でリーダーをやった。とは言っても、私たちのチームはチームと言えど私含め2人しか居ないので、まとめるのが大変とか、そういうことはなかった。
11月ぐらいからやり取り等をしていたのだが、やっと終わった。私たちはzoomでやることになったので、会社に行く必要はなかった。zoomが終わったあと、同じチームの子に色々やってくれてありがとう、と言われた。大丈夫、特になんもやってないから。と私は返した。それを行った後、言葉とは裏腹に、私はちゃんとできたんだな、、と嬉しくなった。

 

・認識
いつも通りバスに乗り、外の景色に目を向けていた。頭の中ではやっと終わったという安心と、インタビューの内容を思い出していた。
私はイラストの会社にインタビューをしたのだが、インタビューに参加してくれた3人のうちの一人の人が、イラストレーターになったきっかけとして、中学生の頃の思い出を語っていた。
筆談しかできない子が転校してきて、その子と絵で会話して仲良くなって、イラストを通して人とコミュニケーションができるんだと気づき、それがイラストレーターになったきっかけの一つだそうだ。
私は絵について、そんな考えをしたことはなかった。絵を通して会話ができる、絵で意思疎通ができる、考えてみればそうだ。けれど私は、絵は描き手の一方的な語りに近いと思っていた。私の考えと、その人が言っていたことは、全く反対であるが、私とその人は、同じ"絵"という事柄について話している。同じものの前に立っているのに、私もその人も同じく絵を描いていて、同じく絵を描くのが好きなのに、私とその人が見ている世界は違う。私はそれに少しの寂しさを覚え、しかし、そんなことよりずっと、この世界は私だけの世界じゃないのだと当たり前のことを思った。
私が最近人と話していなかったからかもしれない。いや、久々に真剣に人と向き合ったからだ。
私は、この世界に私と違う考えを持つ人がいて良かったと思った。

 

・エゴに囚われる
その人はこうも言った。「誰かのために、人を喜ばせるために努力できる人はこの職業に向いている」
私はイラストの会社には向いていないと思った。私は私のためにしか描きたくないから。だって全ての『人のために』は、結局『自分のために』でしかない。自分がやりたいからやっているだけだ。『誰かのために』『人のために』なんていうのは綺麗事だ。私はそういう、エゴにまみれた善意をされたことがあるし、私自身、人に対してそれをしていたこともある。"誰かに優しくされたいなら、人に優しくしなさい。"というような言葉を時々に耳にする。それは嘘だ。私がどれだけ優しくしても相手のことを思っても、返ってこないものは返ってこない。私なら自分が優しくされたら相手に優しくするのに!と思うかもしれないが、相手と自分は全く違う人間なのだ。全く別の価値観で、考えで、生きているのだ。

人は結局みんな自分勝手で、相手のためにやることも、愛も嘘だ。そんなものは存在しない。そもそも、愛なんて曖昧で理想論的な言葉を考えつくところが人間のエゴを表している。私は人間が嫌いだ。でも、私も人間だ。どうして私は人間なんだろうと思う時期があった。私は生まれ変わったら神様になりたかった。神様になったら、人間のエゴにまみれた善意じゃなくて、本当の善意を持って、人を助けられるのに、と思ったからだ。でも、今はそうは思わない。本当の善意なんてそもそも存在しない。善意に嘘も本当もない。人間が勝手に作った都合のいい言葉だからだ。私は記号化された感情的な言葉が嫌いだ。そして、それを作った人間が嫌いだ。恋、愛、善悪。曖昧で、本来なら決められないはずなのに、言葉という枠組みに押し込めるべきでは無いのに、無理やり記号のように押し込んで、単純化させたもの。

この世界に純粋な悪も善意もない。それなら私は割り切って、エゴを持つことを許して生きたいのだ。

私はエゴに囚われて死にたくなったが、また生きようと決めた。それは言い換えると諦めたのかもしれない。人間や社会に対する理想を。

私はまた、世界をこの目で見ることができるようになった。許容できるようになった。この世界は綺麗じゃないと。

私は、そう考えられたから生きているので、昔のようにまた理想を信じることは出来ない。私の理想はあまりに綺麗すぎて、感動映画で理不尽が娯楽として消化されるように、グループで誰かの悪口を言って安心するように、擦り切れてしまう。

私は、人はみんな優しくて、みんな輝かしくて、世界も未来もきっと明るいと信じていた。

私はもう諦めた。人間なんて最低だし、私だって最悪だ、自分勝手で他人のことなんてどうでもいい、所詮見返りを求めている、怠惰で欲にまみれている。

そう思っているのに私には光があった。推しという光。あの人だって最悪で最低の人間の1人だ。

けれど私は信じた。

この世界はきっと綺麗なんだ、だからいつか私は心から全てを愛していると言おうと。

きっとそれを言うのは死ぬ時だろう、そう思っているのに、今私はやっぱり世界を信じている。人を信じている。私たちはきっと綺麗で、きっと分かり合えると。

私はエゴに囚われている。人間はエゴの塊だという考えに囚われている。私は私に呪いをかけたのだろう。もう傷つかないように。私はその呪いで自分を守りながら、時に傷ついている。傷つかない方法なんてない。私に残ったのはただこの呪いだけだ。

私はそうやって迷いながら、時に嬉しくなり、時に泣き、怒り、憎しみ、楽しみながらこれからも生きていくのだろう。私は、これだけは絶対に信じている。そう言える。