生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2023-12/26 朝 日々

朝食(昨日の残りのピザ)を食べ、私はまた敷布団に寝転がって毛布にくるまっている。私は朝起きてすぐ、文章を書こうと思った。起きたら枕の右上に、赤い袋とスパイファミリーの長靴の形のプレゼントが置いてあった。私はそれが少し嬉しかった。少し、だった。今年は別に、欲しいものが特に無いから何も頼まなかった。クリスマスの朝とはこういうものだった。それを思い出した。私は去年、何をクリスマスプレゼントをもらったのだろうか。多分、何かのゲームのカセットだろう。あの頃は、私が寝ている2段ベッドの上の枕の横に置いてあった。私の部屋には私の好きなアニメのグッズがたくさん飾ってあった。

あぁ、こういう両親だったな、と思った。あの頃と住んでいる場所も私自身が変わっていたとしても、クリスマスの翌朝にプレゼントが置いてある光景、そのささやかな気持ちは同じだった。

 

昨日は、家族でピザを食べて、私以外はエムワンの録画を見ていた。私はお笑いには全く興味が無いので、ただピザを食べていたが、弟は「見えない!」「見ないなら変われ!」「どけ!」などと言い、私は弟がエムワンを見るために席を変えさせられた。そんなに必死になることか、と思ったが、なんかこういう人っていっぱい居るんだろうなぁ、と思った。私はエムワンやスポーツ、アイドルなどに全く興味が無い。そもそもテレビを見ないので、芸能人、女優、俳優とかは数人ほどしか名前を知らない。今若い人の中で流行っているものとかを聞かれても、全然分からない。だから、こういう普通の人が身近にいると世界を知れるなぁ、と思う。

ご飯を食べ終わったら、私はカンザキさん(カンザキイオリ)が土曜日にやっていたライブ『日々、』のアーカイブを見ていた。(現在は見れなくなっています。)

最初は 季節は次々死んでいく のカバーだったが、やはり良かった。動画で聞いた時も、めちゃめちゃ合ってるな、、良いなと思っていた。ぜひ聞いて欲しい。他にも良かった曲はあったのだが、私が特に語りたいのは、進化劇 だ。感動した。いや、圧倒された。あれはあの人だけの曲だ、と思った。あの人にしか歌えない。あれは紛れもないあの人の歌だ。

遠い思い出を語るように歌い始めた。ぽつぽつと独白をしているようだった。歌詞が本当に良い。良い、という言葉は不適切だ。本当にカンザキさんが思い出を語っているようだった。

泣くように声を震わせ、悲しみを静かに語り、怒りを叫んだ。

カンザキさんの声は力強い。弱さや後悔や憎しみを含んだ強さだ。カンザキさんの曲はどれも現実だ。苦しくなるほどストレートな、そのままの言葉しか使わない。決して現実を美化せず、明るい希望や夢を歌わない。悲劇を表現として歌う訳でもない。あの人の曲は人間だ。そのままの弱さで、力強さだ。

弱さを歌い、醜い感情を歌い、憎しみを叫び、悲しみを歌う。それでも生きていくと歌う。それでも生きていると歌う。

不器用な男 という曲がある。あの曲の最後で、カンザキさんは「死にたくない」と叫んだ。私はあの曲が投稿されて聞いて、泣いてしまった。カンザキさんは、いつも死を歌っていた。「死んじゃえ」「死んでしまえば」そんな歌詞を書いてボカロを使っていたカンザキさんが、自分の声で「死にたくない」と叫んだ。

私は寝る前にカンザキさんの曲を聞いて、明日も生きようと、救われていた時があった。あの人は優しい。

 

『日々、』とても良いライブだった。私は朝、それを思い出していた。私は日々を思った。クラスメイト、学校の風景、美術室、退屈だった終業式。朝の通学路、帰りのバス、美術の先生。私は、この日々が当たり前じゃないことを知っている。明日唐突に終わるかもしれないということを分かっている。

私は今、学校で美術を学んでいる。自分なりに一生懸命やっている。私はあの学校を卒業する時、どうなっているのだろう。何を思うのだろう。私のことだから、卒業式はすぐに帰ってしまうのだろうか。私はいつも今を思っている。けれど、たまには日々を思うことも大切だな、と今思った。