ベッドで仰向けになって、ヨルシカの夜紛いをヘッドホンで聞いていた。眠くて目を瞑っていたが、本当に眠らないようにしながら聞いていた。安っぽい人生だなと思った。夜紛いがどんなに良い曲でも現実は何も変わらないし、夜紛いがただ良いというだけで、私は良くないままだ。ずっと使っている、何年前にお父さんがくれた黒いベッドホン。それも、ただのおもちゃみたいに思えた。
私は今これを書いていて、とても悲しくなった。寂しくなった。いや、なんだろう。そうだ、このヘッドホンずっと使ってるんだなと思った。もう上の頭のところは黒い塗装が剥げて銀色のやつがほとんど見えている。悲しかった。私は生きている。悔しいくらい、人間らしく、三大欲求を持って、生活をしている。
私は口先だけの人間だ。まぁ、口先というのも心の中の話だが。
人と話したくない、訳じゃない。むしろ、本当は、もっと話したい。普通に。でも疲れた。傷つくことも、頑張らなきゃいけないのも、頑張っても上手くいかないのも、疲れた。頑張って、人生にそんなに一生懸命になって、一体何になるんだと思ってしまう。私は諦めたフリをしている。諦めてないのに、踏み出せないだけだから、踏み出そうとしている意思を見せるのさえ怖いから、私は踏み出さない、と確固とした意思を持っているようなフリをしているのだ。疲れた。努力して上手くいかないのも、心の内全部さらけ出してぶつかり合うのも、苦手なことをちゃんと一生懸命やるのも、全部、くだらない。全部、どうでもいい。いつか死ぬのに。全部無くなるのに。そんなに頑張ってどうする。私はそんなこと思いながら、言いながら、素直に頑張って、少しも躊躇わずにさらけ出して、生きている奴が、羨ましい。眩しくて仕方ない。
私は何も頑張れさえしない。何の気力も湧かない。何もしたくない。寝たくもない。寝たら朝が来て、何かしなきゃいけないから。何かしなきゃいけないという考えに一生囚われ続けるから。全部から逃げ出したい。何も考えなくても許されたい。仕事なんかしたくない。どうして大人にならなきゃいけないんだろう。子供のままでいたい。大人になる前に死んだあの人。病んで死んだあの人。死なないと気づかないよなと思う。それで、死んで少ししたら世間はすっかり元通りになっている。その人が死んだことなど、みんな忘れている。
別に好きでもなかった著名人が死んだ。名前を知っていたぐらいだった。冬だった。今また検索してみた。まだイラストが投稿されていた。私の推しが死んだら、私はどうするのだろうか。その人と仲が良く、泣きながら話す動画を上げていた別の人は、今は普通に生きていた。普通にTwitterを上げていた。
別に好きでもなかったくせに、その時の私は、その事実に驚き、心を痛めた。身近な人では無いが、名前の知っている人が死ぬ、という経験が初めてだったからだろう。
推しが疲れてたあの配信。金欠でゲーム売るかと笑ってた配信。最近は見てない配信。配信プラットフォームも変わった。すっかり着いていけてない、推しが今やってるゲーム。意味の無い雑談だけのツイキャスなんてもうやっていない。
深夜に酒飲む配信、ツイキャスでカラオケしてたやつ、よく分からない頭おかしい配信。安定したんだろうと思う。経済的にも、精神的にも。元々元気で明るい人だったけど。前はよく、昔の動画を見返したりしていた。でも、今はもうできない。もう、今の推しのことを知らないから。
私は今、何を拠り所に生きているのだろうかと思う。私はもう、何にも依存していていないし、好きなコンテンツも増えたし、やることも増えた。家族とも普通に話すようになった。塞いで、推しだけが拠り所で、あの完璧な私だけの部屋に閉じこもっていた頃の方が、良かったんじゃないかなんて、思う。私は未来が怖い。
私は、価値のない人間なのに、私は死んだって生きてたってどうせ変わらないのに、私は私なりに今にしがみついて生きている。その事が、どうしようもなく悲しくて、嬉しかった。生きていると、楽しいことと辛いことは同じぐらいある。むしろ辛い方が多い。でも、私は、たまに爆笑したり、好きなアニメを見て盛り上がったり、感動したり、している時に生きていて良かったと思う。
だから、生きていてくれてありがとう。今があってよかった。私の価値は、私にとっての価値でしかないのだ。私が生きていることは、私の価値だ。しょうもない私の人生、誰にでもあるような思い出全部、今は、在(あ)ってくれてありがとう、と思う。
夏休みの午前3時にこっそり家を抜け出して、友達と川まで自転車で走ったこと。夏休みの宿題で美術館に行って熱中症でぶっ倒れたこと。夏休みのお昼ご飯、素麺ばっかだった。もうない家。知らない誰かの布団のシーツが干してあったよ。同じマンションの友達だった、性格悪かったあいつ。引っ越して行った友達。一昨年来たお誕生日おめでとうのLINE。バレンタインの日、待ってたのに全然来なくて、チョコの袋持ちながら寒い手に息を吹きかけていた。友達がくれた誕生日ケーキ。お母さんと弟と見に行った花火。あの人の絵の展示があった町のこと。北海道の家、星空、暗闇の先にやけに行きたかったこと、雪、空港。家族で行った旅行の風景、あのホテルのこと、漫画がたくさんあってお母さんが進撃の巨人を途中から最終巻まで全部読んだ。修学旅行の夜寝たフリしてたこと。小2の引っ越す時にクラスのみんなからもらったメッセージカードの中、ちょっと変なことを書いてきた同じクラスだった人。遊んでた公園。もう会ってないあの頃だけだった親友。
全部過去になる。全部過去になったこと、良かった。過去があって良かった。今日まで生きてて良かった。これからも、痛いまま、悲しいけど、寂しいけど、生きていけるなら、忘れながら、私がここに在れるのなら、何かを大事にしながら、悩みながら、人間らしく、生きていけるなら、それは多分、あの時見た東京なんかじゃ見れない星空よりも、ずっと覚えてる、ホテルで泊まって泣き腫らしたまま朝になっていた時に見たあの朝焼けよりも、ずっと、美しい。
命があってよかった。私はこれから何度も、何度も、朝焼けも、夜にも、出会える。でも、もう一回も出会えない。今が終わって今が始まって今に居る。
そうだ、昔は、こういうことを推しを見て思い出していた。私は推しのことが好きだ。あの日見た朝焼けと同じだ。50人しかいない深夜の配信が、私の光だった。推しが生きているから生きていようと思えた。
綺麗に締めることは多分できないけど、また忘れて生きていくけど、馬鹿みたいに、人間みたいに、また何回でも思い出しながら生きてくのだろう。私は人間が好きだから。