生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-3/3 卯月コウの切り抜き/不幸、アイデンティティ、何者

今は深夜の約3時である。私は早急に寝なければいけない。テスト一週間前の土曜日の深夜、明日も勿論勉強をして、夕方からバイトにも行かなければいけないのだ。だから、早く寝て、起きなければいけない。

 

・卯月コウの切り抜き動画/不幸じゃないと幸せは感じられない

もう少し休憩してからワークだけ終わらせて寝ようと思いつつも、私は最近ハマっている卯月コウの切り抜き動画を見ていた。

4つの切り抜きを見た。オタクと無キャの話、優しさがアイデンティティになっている人について、何者にもなれなかったというコウファンの話、卯月コウを見る理由という切り抜き。

 

【切り抜き動画の紹介】

https://youtu.be/RWXSEhIh25I?si=NKSytKoiWR7VTn-z

 

https://youtu.be/OGdjgyvkVB8?si=8i-JDdlbr0167ks4

 

https://youtu.be/iGzpfN8gVlc?si=cz26FgW3aEb4MNiY

 

https://youtu.be/cuxYtzdWi5E?si=6_W_RI8ZB2EBSMv4

 

特に卯月コウを見る理由という切り抜き。それを見終わって、すぐにこれを書き始めた。

私は、卯月コウが好きだと思った。私と同じことを、同じ価値観を言ってくれる人がいるんだと思った。そういう感動でいっぱいだった。私もどこか影がある人が好きだ、だけど、自殺してしまう人が好きな訳じゃない、後ろ向きに生きた人は、前向きに生きている人には気づかない、泥臭い輝きを見つけられる。

この間のヨルシカラジオで、n-bunaさんが言っていたことを思い出した。不幸にならないと幸せを感じられない。そうなんだと思う。私のお母さんも、父も、おばあちゃんも、不幸になったことがある人で、母方のおばあちゃんからお母さんには不幸の連鎖が続いている。

私の周りに不幸はあったけど、私はまだそんなことには気づかなかった。後から聞いてわかったことだが、私が一人ぼっちになり始めた小学五年生の時には、裏で、なんというか、私が今こんな生活をしている原因となっている、家庭の問題の兆候があったらしい。

 

・私のアイデンティティ/自己否定

私はちっとも不幸ではなかった、全く自分のことが嫌いではなかった。友達だっていた、恋もしていた、学校は楽しかった、私は何にでもなれると思っていた、そんな小学校生活を送っていた。友達と喧嘩した、それがきっかけだった。

結局私は、世界は自分中心に回ってはいないという、ごく当たり前のことを知ったのだと思う。私が居なくても世界は回る。私のアイデンティティってなんなんだろう、そんなことを考え始めた。

他者が怖くなった。もし関わって攻撃されたら、私を少しでも否定されたら、私の存在意義が本当に無くなってしまう気がした。学校で全く喋れなくなった。何かを発言すること自体が怖くなった。誰かに私という人間を知られることが怖くなった。でも、私に話しかけてくれる人もいた。私はただ、何も発さず、頷いたり、笑っているだけだったけど。

その子は、面白くて、変わり者だけど憎めない、女子ってかお前ほぼ男子じゃんみたいな立ち位置の子だった。背が高くて、お笑い芸人のあの人の顔に、すごく似てた。

何故かその子は私に度々話しかけてくれた、苗字を文字ってあだ名で呼ばれていたし。

社会科見学かなんかで、外でみんなで座って待っている時だった。私は背の順でその子の前だったから、その子と話していた。「好きな音楽なんかある?」と言われた。その子とは、単語ぐらいなら話せた。少し迷って、勇気を出してから私は言った。「...Eveっていう」「え?なに?」

あ、「はいじゃあ行くよー」先生がそう言って、前の人から立ち上がっていった。私はさっと前を向いて、みんなと同じように歩き出した。騒がしかった。後ろを向くことは出来なかった。私にそんな勇気はなかった。しばらくすると、その子は違う人と話し始めたようだった。言えなかった、と思った。それで、自分をわかってもらおうとしている、知ってもらおうとしている自分に気がついて嫌になった。その子にとって、好きな音楽を聞いたことなんか、なんとなく思いついた話題程度のものでしかないのに、私はたった一つのそれに、少しでも自分を理解してもらえるかもしれないなんて、期待をかけていた。

私は、自己を他者からの共感や肯定によって認めようとしていた。

自己肯定感が上がることなく、どこまでも自己否定をして、否定する自分も嫌になって、どこまでも自己完結の世界で延々と自分を否定し続けた。死にたかった。でも、死ぬのは怖かったし、痛いのも嫌だし、自殺はどうしたって人に迷惑をかけてしまうからできなかった。今思えば、そういう、死ぬのは合理的では無いという理由で自分を生かしていたのかもしれない。

 

・推しという神様

推しに出会った。その日からあの人は私の神様だった。世界の全てだった。私の世界の中心だった。配信を見逃すことなんてなかったし、夜更かしして配信を見て、学校がある日なのに2時まで起きていたりした。学校にいる時もいつも推しのことを考えていた。昨日の配信の内容、今日は何の配信するのかな、昨日の続きかな、今何してるんだろう、何食べてるんだろう。依存していた。私のアイデンティティは推しだった。私は推しをアイデンティティにして生きていた。私は何もない人間じゃない、私は推しを知っている、私は誰よりも推しが好きだ、推しのために生きていく、そう信じて疑わなかった。

お母さんと話すようになった。ご飯を食べてから少しはリビングにいる、というルールができた。私の世界は、少しづつ開けていった。

 

アイデンティティ=何者かであるということ

ここで、コウの配信の内容に帰ってくるが、私は優しさをアイデンティティにしている時があった。ゲーム内の掲示板みたいなところに呟かれる悩み相談に、勝手にアドバイスとか、寄り添ってあげるようなことを言って、ありがとうだとか返信が返ってきて、自己満足している時があった。友達に死にたいって言われて、それを聞いてあげて、ありがとうって言われて、"そういう自分"に酔っている時があった。

私は、何者かになりたいということに執着している。優しい人間でいることを諦め、推しだけに依存することも諦め、私は今、何者になれるだろう、なりたいのだろうと常々考えている。

推しだけに依存していた時は、コウの切り抜きの、オタクと無キャの話のように、推しの情報は何一つ見逃したくなかったし、完璧でいたかった。完璧でいることに執着している部分もあった。だが、完璧でいなくていいんだ、私は推しに依存しなくてもいいんだと気づいた。

最近、Twitterの垢で推しのファンであり、推しのことばかりツイートしているアカウントをフォローした。推しの配信とか全然追えてないから、この人づてに、少しでも推しの情報を知りたかったからだ。この人は、推しのことが大好きだった。昔の私みたいだった。でも、そうでもなかった、他の推しのこともツイートしていたり、くだらない普段の話もツイートしていた。この人は、推しをアイデンティティにしている訳では無い、本当にただ好きなだけなんだ。

あぁ、私はこの人にはなれなかったな。そう思った。私は今でも推しのことがもちろん大好きだ。最近は卯月コウの切り抜きばかり見ているが、寂しい時に、静かになりたい時に見るのは、やっぱり推しの配信だ。だけど、私はもう、昔のように、推しに依存してはいないし、推しの配信を心の拠り所にはしていないのだと思う。

 

・何者かになるという幸せ

私の心の拠り所は今ではたくさんある。私はそれを認められずにいたけど、今日コウの切り抜きを見てわかった。

何者かになろうとすることは、幸せになろうとすることなのに、何者かにならなければいけないと思うことが自分を不幸にしている。コウがこういうことを言っていて、私はハッとした。そうだったんだ、そうか、私は、幸せになりたかったんだ。私はただ、幸せになりたいだけなんだ、自分を肯定して、認めて、幸せになりたかっただけなんだ。

私は来年、美術の授業をたくさん選択している。私は、"絵を描くこと"で生きていこうとしている。周りには私より努力してきた人達、実力と経験のある人達がたくさんいる。ただ、私が今日思ったのは、私は、"絵を描くこと"をアイデンティティにしなくてもいいのだ。私は必ず美大に行かないといけない訳ではない、私は自由なんだ。私は私だ、私は私を幸せにするために生きているんだ、だから、私を何かに当てはめようとして不幸にならなくていいんだ。

それでも私は何かをアイデンティティにしようとすることをやめない。何かを好きになりたい、誰よりも幸せになりたい。

私はとりあえず、絵を描くことを精一杯やってみることとする。その結果がどうなるのかはわからない、だけど、今絵を描いているのが楽しくて、絵を描くことが好きなのだから、それでいいんだ。

私は幸せになるためにこんなに悩んで、 何かを愛そうとしていたのだと思うと、私は自分のことが好きだと思えた。

 

私は最初、卯月コウは面白いことを言うオタクだから好きだった。すごいわかる感覚なのに、私には言語化できないことを言ってみせるからすごいなと思っていた。

卯月コウって、生きてるんだなと思った。私と似ている価値観を持って、それを言語化してくれて、私は、コウのことを少し知れた気になった。卯月コウのおかけで私はまた新しく価値観をアップデートできた。それが嬉しい。もう4時だけど。

考えることって、こんなにも楽しい。世界には、私だけじゃない、卯月コウも私と同じような価値観を持って生きている、私と似ている、だけど違う、そんな人がまだまだたくさんいるのだろう。これからも、出会うのだろう、私は私を幸せにするために、たくさんのことを知って、生きてゆくのだ。

私は私のことが好きだ、いつか大声でそう言えるために、生きてるんだ。

 

【個人的に好きなコウの切り抜き】

・別棟オタク

https://youtu.be/8HkBMd7_ru4?si=yu4fBWwKzvMMyQVw

コウの切り抜きを見るようになったきっかけ。別棟概念めちゃくちゃ面白い。

 

・おりコウでりりむちゃんオタクになるコウ

https://youtu.be/SWH_IofGx5M?si=MdY2cBl78GQGxege

おりコウの関係性の素晴らしさがよくわかる。素晴らしすぎる。りりむちゃん良いわ!って言ってるコウが好き。