生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-3/10 昼 (夢、卯月コウ、過去、また会えるよ)

今日、夢の中で卯月コウの配信見てた。その後、色々あってショッピングモールに行くことになって、そこでも色々あり、そこから出て、北海道の、じいじの家に行っていた。道が段々雪になってて、あれ、私何のためにここに来たんだろう、やっぱり帰ろうって思って、帰ろうとしたら、窓の前を通った時に、中にいた、いとこのお母さんに見つかった。いとこのお母さんは、お母さんの妹で、じいじは父方のおじいちゃんだから、ここに居るのはおかしいんだけど、おつかいを頼まれた。おばあちゃんが居た。何も喋らず、椅子に座ってた。

どうして私の夢に出てきたんだろう。私が過去を恋しく思ったのか。

もう多分、行かないよ。行ったとしても、私が大人になってからだろう。あの辺りは本当に田舎で、道路と近所の家が数軒あるだけで、家の後ろには崖になってて田んぼがずっと並んでる。その先には高架橋があって、たまに電車が見える。いつも冬に行くから、全部真っ白で、誰もいない。近所に住んでる家の人も少ししか見たことがない。この道路を走る車も、たまに見るぐらいで。

廃校になったお父さんの中学。お墓参りにいつも行くんだ。

空港からおじいちゃんの車に乗って、何も無い道をただ進んで、何も無いおじいちゃんの家に着く。

あの町は、あの場所は、やがて無くなる。

私に、何か伝えたくて、夢に出てきたなら、ごめんねとしか言えない。

昨日の夜というか今日、深夜3時の、寝室の薄暗い灯りの下、画面だけが明るかった。画面の中の、話している卯月コウが始めてとても遠い存在に思えた。手の届かないものに思えた。それが悲しかった、苦しかった。

私はこんなにも卯月コウの言っていることに共感できるし、好きなのに、どうやったって、彼は"卯月コウ"という画面の中の存在であって、現実世界にはいない。

卯月コウが、三秋縋の小説が面白いと言っていたから、気になって調べてみた。調べてわかった、恋と寄生虫っていう本、中学の時、隣の席の人が読んでたな。その人の友達も読んでた。その人の友達は、メガネをしていて、よく喋るからちょっと苦手だったけど、今思えば楽しかったな、その人と前の席の人のどうでもいい争いみたいなのに巻き込まれて、めんどくさいなって思いながら笑ってたの。

卒業式の時、寄せ書き書いてくれたな。別に仲良くはなかったんだけど。

コウのことは、今の熱が冷めたら忘れるだろう、三秋縋の本も忘れるかもしれない、中学の時三秋縋を読んでたあの二人のこともいずれ忘れるだろう。

だけどいつか思い出すのだろう。例えば、あの寄せ書きの色紙を見て、あーなんかあの人だっけって思い出すのだろう。読んだ本を記録しているメモを見た時に、そういえば三秋縋って何で読んだんだっけ、そうだ、卯月コウが面白いって言ってたから読んだんだ、最近コウどうしてんのかなって思い出す。

卯月コウを好きになりきれなかったことが悲しい。忘れるわけない!ずっと覚えてる!って、言えないんだ。私がずっと忘れないで、ずっと今と共にあると信じているのは、○さんと、Eveくんとヨルシカだけだ。Eveくんとヨルシカはもう、好きになってから4年ぐらいになるし、○さんももう3年ぐらいになる。

いつか私が変わっても、私はずっと流れが好きだよ。私はずっと、Eveくんみたいなファンタジーで深い世界観が好きだし、ヨルシカの曲から溢れる価値観が好きだし、○さんのことが好きだ。リゼロも好きだろうな。

全部の人のこと、わかりたかったな。もし過去に戻れるなら、もっと素直になって友達も作って、言い争いとかできたのかな。そんな風に強い人間になれたらよかった。

そういうものを抱えて生きていく。中学の同窓会とか、絶対行かないけど、私の中で過去は過去で終わったままにするけど、中学の先生が私の文章をすごく褒めてくれたのとか、通学路の歩道橋の上から空を見るのを楽しみにしてたのとか、覚えてるよ。

人ってわかりあえないわけじゃ、きっとないんだ。おりコウを見て、すごくそう思った。私は弱いままで変われないけど、変わらないけど、卯月コウに出会ったことみたいに、新しい今はこれからも続いていく。私が死ぬまで。それは明日かもしれない。今かもしれない。

それなら、死んだ後に私は、泣くんだろうね。私の葬式、私の友達、私のいない教室、でも、いっぱい泣いた後で良い人生だったと思う。良い人生だったから泣くんだ。

きっとまた会えるよ。全部。過去になっちゃったことも、私が死んでも、きっと、また会えるんだ。だから大丈夫なんだよ。文章は私にとって、本当の拠り所なのかもしれない。