生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-3/8 バス車内にて

多分、この学年で誰よりも早く教室を出た。今朝の雪はもう、溶けて消えてしまったようだ。写真撮りたかったな。少し冷たい空気に手が冷えてくる。私は、集団が嫌いだと思った。自由になったような気がした。もうテストが終わったから、帰ったら卯月コウの切り抜きを見ながら、ゲームだってできるんだ。最近の私は卯月コウで息をしている。
バスを待ちながらこれを書いている。スマホの画面の明るさを最大限に上げても、日の差している屋外で見ていると、やはり画面は暗い。そんな暗い画面に、私の顔が反射している。髪の毛と白いマスクがよく見える。少しボサついた髪が、なんとも陰キャらしく、醜くて、嫌になった。風が冷たい。無価値に思えた。自分のことが。
家に帰ったらまたダラダラとコウの切り抜きを見て、時間を潰して、夕方になったらバイトに行く。そうだ、今日は洗濯物畳まなきゃ。
全部、無価値なんだろう。この世の全てが。そもそも、価値なんて人間が勝手に作った言葉で、酷く抽象的な概念である。"価値"は存在すると言えば存在するのだろうし、存在しないと言えば存在しないのだろう。だから今の私は間違っていない。間違い、正解すら定義されていない。

もらいものの、受け売りの価値観の寄せ集めを抱えて生きている自分が嫌に思った。私は所詮ただの凡人なんだ、そう思いたくない、だけど、そう思っているからこそ、普段、天才だとか名前のある何者かになりたいと思うのだろう。
自分に何度失望したって仕方ないと思った。自分を否定し続けた先に、凄いこととかドラマチックな物語なんて無かった。在り来りな話だった。好きなゲーム実況者に救われた気になり、当たり前のことに気づいただけだ。スマホの画面に、さっきよりは黒い文字がはっきりと見える明るさになった画面に、青い空が反射していた。ふわふわの白い雲が映っていた。雲間から覗く真っ白な光が画面に反射して、私は眩しくてスマホの角度を変えた。画面を見るのをやめ、視線を少し上げれば、そこには当たり前の、代わり映えのない日常があった。私が生きている理由は、空が青いから、ただそれだけでも良いのかもしれない。私が生きていく理由は、季節が変わるから、ご飯が美味しいから、それだけで大丈夫なんだと思った。