生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-3/27 深夜 肌、夏、風

懐かしい気持ちで、新しい気持ちで、寂しい気持ちでいる。
正直、何も言葉にも形にもしたくなかった。だけど、何も出来ないでこの気持ちを、感傷を、思いを、終わらせることは、私にはできなかった。終わらせることの方が、私には苦しい。
もっと消えちゃいそうな絵を描いたっていいんじゃないかと思った。次は春の絵を描く。私はもっと、自分らしい痛みを抱えて、それを表現して、これが私の絵だって、言ってもいいんじゃないかと思った。人の顔、嫌いだった。だけど、肌を、描きたいと思った。次の絵どうしよう。いつか、抽象でもっと形にならなくて、誰にもわかんない絵を描きたい。でも、そういうのは、技術が必要だから、もっと、色んなことを身につけてからね。
何も不思議じゃないのに、日常なのに、私、こんなに悲しいのはなんでなんだろうね。終わっちゃうと思ったんだ。
明日になれば、明後日になれば、その次の次も、ずっと次、例えば春休みが終わったら。
ほんとは誰も好きじゃないのかもしれない。私は何が好きなんだろうね。君とか、あなたとか、言葉だけなら、気持ちの方から、心の中から出てくるんだよ。でもそれが、誰に、何に、どんな形に、向けられたものなのかが、わからないから、何もわからないままなの。
わからないこともきっと美しい。それは、私がわからないからそう言えるのかな?
いつか、全部が全部、本当に幸せになっちゃった日が来たとしたら、私はその日が終末の日だとしか思えない。明日世界が終わるなら、美味しいご飯を食べて、お風呂に入って、いつものベットで眠りについて、そうして私は、私の推しが出てくる夢を見て、その間に、世界が終わっていて欲しい。何の音も、感覚も、ないまま。夢から覚めると、現実に戻っていて、そこは田舎の若々しい草木が生い茂っている。お母さんが私の名前を呼んで、もうご飯だよって言うから、私は暑い夏の中で、返事をして、草をかき分けて、出ていって、そうしたら、青い、青い、空が見えて、入道雲が浮かんでいて、私はその美しさに気づかずに、そんなもの見えないまま、家に入る。何もなくてもいいよ。うんん、これもただの夢なんだけどさ。
結局私の理想が、もう戻れない過去なら、人生の全部なら、私は死んだ後も多分、考え続けているよ。好きだから。
そう思うと、涙が出た。
何も喋りたくない。この世界に囚われている感覚が、どんどんしてくる。
長谷川白紙さんが、体との境界線をなくしたいと言っていた。私、あの人ならできるんじゃないかと思っていた。だけど、長谷川白紙さんも人間だから、そういうことは、多分、できない。私もできない。
私は風になりたい。その風ってなんなのか、どんな風なのか、私はそれを、考えなくちゃいけないんだろう。
私は私じゃなければ、こんなに苦しくならなかっただろうなと思う。だけど同時に、私が私じゃなければ、世界はこんなに美しく見えなかっただろうなと思う。