生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-2/18 本日 友達、形、部屋

温かいお風呂に入ってとてもゆったりとした余裕のある気持ちで、今、ベッドの上に座り、これを書いている。

この間、友達に、王子様だと言われた。友達は、私のことが大好きだ。私の写真を集めたフォルダがあるらしいし、私との良かったLINEの会話をスクショして、保存しているらしい、、、。。(東堂葵の適正アリ)(まだやってたら怖い)

一目見た時から俺の王子様で太陽で中心だった、強くてかっこいい、社会の基礎出来すぎ、顔が可愛い など、ベタ褒めされた。私は、褒められるとちょっと相手のことが好きになってしまうので、その友達からは様々な迷惑を被られているのだが、ちょっと良く思えてしまった。

なんか、日々って良いよなぁと思う。最近そう思うことが多い。まぁ、思ってるのは大抵、やることのない夜なんだけど。

好きな人からLINEが来ない。占いだと今月中に連絡が来るって何回も出たのに、、。まぁいい。占いなんか、信じてないし、むしろ私がパチモン占い師になって金をむしり取りつつ、救ってあげたいものだ。現実に希望を求めるなと。

自分を好きでいるのは、自分を認めるのは、結局自分だと最近思う。前からそれは思っていたのだが、最近は特に思う。主に絵についてで、自分と他人を比べることが多くなかったからかもしれない。なんとなく良い人生を生きたいな、、、。私の好きな推しがずっと活動を続けていて欲しいし、推しとのゲーム実況者のコンビが、一生続いて欲しい。あの2人は、荒廃したゴミ塗れのこの現実の中、唯一ずっと変わらない私の理想だ。人間と人間の1体1の関係として、あれは完全なる理想形だ。本当に。めちゃくちゃ語りたいんが、昨日の夜、1人で死ぬほどTwitterで語ったのでもういい。私はあの2人が一生好きだ。

私は多分、形が好きだ。形にして残すのが好きだ。でも、はっきり明確に、何から何まで詳細に残したいわけではない。そうしたって、所詮、意味が無いと思っているし。ただ、意味がなくても、曖昧な言葉にして、絵にして、残すこと、表現することに多分、美を感じているのだと思う。私は、現実だけど現実じゃない、みたいなのが好きだ。絵も、小説も、アニメもそう。だって現実を残すことはできない。写真でさえそうだ。

 

これを投稿し、もう寝ようと思った。こんな時間だし。だけど、ベッドの橋に置いているゲーム機器などを整理していて、隅に置いているレムちゃんのぬいぐるみと、私の推しのぬいが気に止まった。良い匂いするかなって思って、私の推しのぬいを抱き上げて、頭とか後ろとかすーっと吸ってみた。無臭だった。ちょっと残念。レムちゃんも嗅いだ。これは少し、匂いがした。首の裏だけ匂いがした。なんだろう、久々に着た匂いの薄い服の匂い?ブックオフの本の匂い?みたいなのがした。改めて見つめて、かわいいなと思った。最近、かわいいなと思う時があまりなかった。ごめん。この2人だけじゃない、お母さんにもらったシマエナガ、胡桃のオバケのやつ(すごくふわふわ)、スプラのサンリオコラボのけろっぴイカのぬいぐるみがある。それらが、私が寝ていて、上に天井がある時の左横にあって、右横にはずっと使ってるレムのクッションがある。お母さんが見つけて、買ってきてくれたやつだ。嬉しかったな。全部思い出がある。(けろっぴイカだけはちょっと覚えてない。でも、シナモロールイカとどっちを買おうかなってすごく迷ったのは覚えている。シナモロールイカのかわいいポイントは白いだけで、けろっぴイカは緑色でリボンもついていて、かわいかったので、買った。)

ベッドの頭の方についている台?スペース?には、グッズが置いてある。花子くんやらレムやらタルタリヤの缶バッチが入ったケースと、花嵐のグッズ買った時の特典のバッチ(1回だけ開封しまた閉まってそのまま飾ってる)、レムのアクスタ(フィルムから出してない)、呪術廻戦のさしすのステッカー、エネのアクキー、ガチャの原神の神の目のやつ、私の推しのグッズが二個、あと、私の推しの絵を切り取ったやつが飾ってある。

私は、とても好きな物に囲まれているのだと思った。そして、これはとても幸せなことだ。前の家の、私の部屋は、好きな物で満ち溢れていた。壁には花子くんの絵をババーっと飾っていた時もあった。(流石にそれはやめたけど。)

私のグッズが飾ってある棚、壁にも色々飾っていた。見渡すと、私の好きなものばかりで、それがとても好きだった。

小学四年生までの私は、ご当地ベアなるものを、集めていた。めちゃくちゃ持っていた。本当に。今は、いとこにあげてしまったり、おばあちゃんの家にあったりする。それを思い出して、なんだか、心苦しくなってきた。良くない。人は変わるものだ、それを受け入れなくてはいけない。過去を思い出すのはやめよう。

私は、集めるのが好きなんだと思う。これは、形に残しておきたいという思いと、多分繋がっている。形に残しておきたいから、集めるのだろう。好きなものが形として近くにあると、安心するのかもしれない。

この家は、いつ出ていくかわからない。正直。だから、まだダンボールを開けてすらなかったりもする。まだ、グッズを飾っていない。飾るスペースもない。私だけの部屋が、そもそもないし、私の家でもないし。

でも、飾っていなくても、見えなくても、案外大丈夫なんだと思った。私がそれらを好きなことは、好きだったことは、ちゃんと覚えている。花子くんのコラボカフェに行ったこととか、原神のコラボでスイパラに行ったこととか、エヴァの映画でカヲルくんのポスターが一発で当たって静かに大喜びしたのとか、全部覚えてる。だから私は大丈夫なんだ。これからも、楽しいことがたくさんあるのだろう。Eveくんのライブも、楽しかったなぁ。覚えてる、多分ずっと覚えてる。階段ですごく並んで、その間しりとりしてたのとか、終わったあとの高揚感と開放感と幸福感が凄かったのとか、一番最初に行ったライブで始まる前に利休食べてたらEveくんの歌が流れてきてテンションが上がったのとか、覚える。忘れちゃっても、きっと大丈夫。今の私が覚えてて、好きで、楽しかったなぁって思えて、愛してることは、全部、本当だから。形がなくても、それでいいんだと言えるようになりたい。それは、多分すごく難しいけど。

今日、星が綺麗だったんだ、空が澄んでて、星がすごくよく見えた。ご飯、私の好きな肉を食べた。美味しかった。お風呂、あったかかった。特別じゃなくても、私はそれすらも好きで。でも、形にしてもいいんじゃないかなって今、思った。私が形にするのは、失うことの、過ぎていくことへの怖さもあるけど、愛おしいからだ。美しいから、好きだから、形にして、何回でも見れるようにしたいんだ。良いところと悪いところは表裏一体、だから、私は私の好きなように、生きていけばいいのだと思う。結局、いつものその結論に行き着く。

明日も生きていこうと思う。