生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-2/19 帰り道、一人、風

久しぶり(と言っても2日ぶりなのだが)に登下校をしたからだろうか、帰ってきてすぐの今、両ふとももの裏の筋肉か何かが、どくどくと規則的に痙攣し始めた。足が疲れたのだろうか。血が巡っているのを感じた。

家に帰ってくるまで、いつもの駅から、今日は歩いて帰ってきた。(朝は雨が降ってたから自転車で行かなかったため。)

風が吹き荒れていた。ごうごうと、雨の代わりに、全てを風で洗い流すように吹いていた。反対車線の道にある大学の敷地の木々が、風で揺らされて滝みたいな音を出していた。なんか、アトラクションみたいだと思った。遊園地の。具体的に、あれっぽいとかそういうのは、思い出せなかった。

道は暗く、雨で艶々としていた。前に、スーツ姿のボブの女性が歩いていた。ヒールの音をコツコツと立てながら、風に負けず、ガツガツと早足で歩いていた。教育実習生で来ていた、あの先生に似ていた。パワーがある感じとか、身長が少し低いところとか。それだけでも、既視感を覚えるものだ。私はなんだか疲れ始めていて、けれど足は進んでいた。意識していなくても、自然と前の女性に倣うように、ついて行くように歩いていた。そんな自分がストーカーみたいだと少し思って、それよりも、幽霊みたいだと思った。

道が別れて、女性は私と反対の道に歩いて行った。私は1人で、暗い道を歩いた。風は止まることなく吹き荒れていた。なんだか私はこれに、既視感があった。嘔吐だと思った。サルトルの小説の。途中までしか読まなかったが。

あれに、こういうシーンがあったのだ。

夜道を1人で歩く、道は土の道で、舗装されておらず、明かりはあまりない、散歩をしていた。ここは街と街を繋ぐ道で、辺りには何もないし、騒々しい街の音も聞こえない。自分以外歩いている人はいない。風が吹いている。

反対側から、女が歩いてきた。それは、自分の知っている使用人の女だった。彼女は涙を流していた。しかし私は何も声をかけなかった。そして私はまた歩いていく。

 

私は、こういう今の感じを知っている。経験があるはずだ。けれど、具体的に何かと言われても思い出せない。今の状態は、状況は、居心地が良いと少し思う、安心感があった。しかし同時に少しの怖さもある。ただ闇がある。寒くはない、温かくもないけど。電柱やら、灯りに近づくと、影が私の前を歩いていた。

志賀直哉がここに居たら、これを経験していたら、何を言っただろう。何か書いたのだろうか。なぜ、志賀直哉が出てきたのかというと、『このような場合を何かで知っていた。』という文章が城の崎にて で出てくるからだ。さっきの文章は、城の崎にて のこれを意識して、書いた。

これもまた、静かな死なのかもしれないし、逆かもしれない。風が騒がしいため、物質的には、空間的には?上手い言葉が見当たらない。とにかく、現実としては、静かではない。だから、生なのかもしれない。まぁ、生きているから死を感じるのだ。

私は風になりたいと、よく思うし、文章にしていたりするけど、こういう、夜に、吹き荒れる風になったら、とても孤独だろうと思う。いや、感情はないのか、けれど、感情がないなら、永久になってしまわないか?

そうなのかもしれない。それは、怖いと思う。

私はなんとなく思う。多分、こういう文章を書いている人は今も昔も、たくさんいる。私が、文豪達に、会うことが一生できないのはとても残念だけど、今も、この風に何かを思っている人は、たくさんいるのだと思う。

私たちは目に見える世界に捕らわれがちだ。だから私は、目に見えない世界も大切にしようと思って、だけど、それは難しくて、風になりたい人はこの世のどこにもいないのかもしれない、と少し思うのだ。