生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-4/22 雑談 卯月コウについてなど

ウヅコウの昨日の配信のアーカイブを見ていた。やっぱり私は卯月コウが好きだなと思う。言ってること全部納得できるし、共感できるし、ウヅコウが上手く説明出来ていない時も、わかるわかる!!となんとなく感覚を理解出来る。
しかし、私と違って、言語化能力がとても高いし、今まで蓄積させてきた彼だけの哲学がある。私は卯月コウにハマってから、"卯月コウ"みたいになりたい!と思っていた時があった。これは本当に最近のことだ。正直、今もたまにそう思うけど。
私はウヅコウのことを、"常にマイノリティーである自分"を愛している人間、だと思っている。自己愛が強いけれど、客観的に見て、"代替のきかない個性"であることに価値を感じていて、そういう自分でありたいと思っているのかな、と私は考えている。
私もそういうところがあるけれど、正直私はそこまで"マイノリティーであること"に拘っていない。私からすると、卯月コウは、"マイノリティーである自分"を突き通し、素直に愛し、だからこそ信じていて、卯月コウは"卯月コウ"でしかない存在だと思う。つまり、卯月コウは代わりなんていない存在だと思う。
私は、私のことを上手く愛せていないし、ちゃんと信じていない。だからこそ、卯月コウは中学生なのだ。
私は中学生ではいられなかった。私は、高校生になった。私は中学生が嫌いだ、高校生も嫌いだ。卯月コウは誰も予想しなかった方向に、しかし真っ直ぐ伸びている草木のようだ。けれど私は、下を向いたまま背丈だけは伸びている今にも枯れそうな草だ。
私は卯月コウのように、誰も予想しなかった方向に真っ直ぐ伸びていけない。私は結局、予測可能な、ありふれた人間なのだろうと思う。それでも自分のことを愛してしまうのが人間で、私は人より自己肯定感が低いから、自分の愛し方が少しひねくれているだけだ。みんな違う自己愛を持っている。
ウヅコウが格付けの後の配信で、逆張りによって文化(例えとして音楽)が発展しているところがあるんじゃないかと言っていたが、私も確かにそうだと思う。
この話でパッと思い浮かんだのが、キタニの『悪魔の踊り方』で、あれはまさに、お前らバカかよ!!!(怒) という、世間への逆張り的訴えかけだと思う。私は逆張りはある種の自己愛だと思う。だから、自己愛のぶつかり合い、ぶつけ合い、混ざり合いで文化が発展しているんだと思うと、なんだか面白い。でも、恋愛も友愛も、人と人の互いの自己愛があって成立するものなのだし、自己愛によって文化が発展している、というのも案外正しいのかもしれない。
そんなことより、以前から母が弟に似ていると言っているシナぷしゅに、長谷川白紙さんが声で出演しているとのツイートを見て、YouTubeで見たんですけど、良い、、、。白紙さんの声、良い、、、。というか、声良い、、。声ってそもそも、良いよね。やっぱり人間の自己愛を大切にしていこう!人間嫌いだけど。まぁ、私が人間のこと嫌いなのは、人間と向き合いすぎてしまうし、考えすぎてしまうから、嫌い!にしていた方が楽なので。

 

【ウヅコウ 好きな切り抜き】

https://youtu.be/rT8On2anV-M?si=SmHHMl7NMP7aWaFl

これほんと好き。もう完成されすぎている。言ってることがわかりつつ、なんだコイツ感もあり、とても良い。何回も見てる。

 

https://youtu.be/Tu16dT632wo?si=GaJpTwBHtxFk5ZUb

ウヅコウのお人形遊びめっちゃ好き。特にこの回は自分で自分の解釈に衝撃を受けてるのが面白い。