生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-4/22 バス車内にて

日々が、無名作家の200ページ程しかないつまらない小説のように思えた。早く家に帰りたい。しかし、家に帰ってまた明日が来て、明日が来て、ずっとそれの繰り返しでしかない。意味も価値もないのではないか。いや、ないんだろう。生きていることに、意味も価値もない。ただ生きているから生きていこうとするだけだ。
早く家に帰りたい。早く家に帰りたい。私でいられる場所に帰りたい。でも、もう帰りたくない。何かあった訳ではないが。説明できない。風を感じたい。結局のところ、機械的でしかない自然を、機械的な人間で感じたい。その"機械的"すら、自然なのかもしれない。自然と機械的は私たちには理解し得ないだけで、イコールで結べるのかもしれない。しかし、私はそんなこと(真実)はどうだっていいのだ。何もわからないまま、未熟な、曲がりくねった自我で、馬鹿のまま、自然の一部になりたい。今はそういう気分だ。もしかするとそれは、死 かもしれない。私が死んだら骨をどうしようかと、たまに考える。前は、本当によく、そういうことを考えていた。葬式の写真は何がいいかなとか、棺の中に何を入れて欲しいかとか、私が死んだら誰が泣いてくれるのか、妄想していた。
私の遺骨をどうして欲しいのかについては、3つの考えがある。現実的に出来るかどうかは別として、桜の樹の下に埋める、海に散骨、食べてもらう、

家に帰ってきた。私は学校が嫌いだ、人間が大嫌いだ。もういい。こんな暗いことを、嫌なことばかり考えるのはやめよう。
今日はデッサンの時、通りがかりに先生から「まぁまぁだね」と言われた。まぁまぁ良いのか、まぁまぁ良くないのかわからなかったが、前はそれすら言われなかったので、前よりはよくなったのかもしれない、と思った。実際、前は立方体1個に3時間ほどかけてしまったが、今日は2時間で立方体2個を描くことが出来た。パースも大体合っている、、と思う、、、。先生にパースについては言われなかったので、目立ったパースの狂いはなかったのだろう、、と思う、、、。
前の席の人が立方体を小さく描いていて、上手くてムカついた。小さく描くのなんかズルだ。先生にはぜひ点数を下げて欲しいが、先生はそいつに対して「良いじゃん」と言っていたので悔しい。(小さすぎるとは言っていた。) 確かに良い。いや、確かにとかじゃなくて、上手い。だからムカついた。美術部にも入っていないし、話を盗み聞きしたところ、デッサンをあんまりやってきたわけでもないそうなのでムカつく。普通に才能だ。しかも休み時間、私の席に座ってたからデッサンの続き出来なかったし。しかも椅子を動かしやがったし。だから嫌いだ!良い人そうだけど、良い人だとかどうでもいい。
何より、休み時間やりたかったのに私が目の前に居たのに全く気づかず、私の席に座って友達と話して、しかも、くだらない女の話をしていたのでムカついた。あと、ちょっと調子に乗っていたのでムカついた。だから絶対上手くなってぶっ殺そうと思った。