生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-3/1 バス車内にて 憂、流れ、肩、ウヅコウ

・憂

なんだか気分が優れなかった。これと言って嫌なことや不快になることがあったわけではない。なんとなく授業が終わり、なんとなく学校を出た。急ぐ理由はなかったが、足を早めて歩いていた。今日は合格発表の日らしく、校舎の外の窓に発表の紙が張り出されていた。その前で女子数人が並んで写真を撮っていた。私は人をよく見ていないので、もう入学している同じ学校の人が、ふざけて写真を撮っているのだと思った。今思えば、それは新入生の可能性もあったのだろう。
疲れた。
今日は朝からずっと眠くて、肩が痛いし重い。私は常に肩が重いのだが、日によって、肩がちょっと軽い日とずっとリュックを背負っているような重さの日がある。今日は肩が痛いし重い。それのせいだと思う、多分。

 

・平穏、流れ
文章を書くことで、私は私の世界を保って安心している。私だけの世界に入って、言葉を吐き出して、自分という存在を中心として世界を見ている。だから私は本を読むのが好きなのかもしれない、自分と作者だけだから。
私は一体一の会話じゃないと全然話せない。
バスの窓の外を見ると、川に青い空が反射していた。私は生きているんだな、そんな気がした。右隣には同じ学校の女子2人組が座って会話している。
私は何かが恋しいと一瞬思った。それは他人だった。けれどその思いはまた一瞬のうちに消えた。光や空気が良いなと思った。やっぱりバスは好きだ。私は流れが好きだ。流れは表面的には不変であり、細かく見ると不変ではない。日々と同じだ。だから私は好きだ。動きも好きだ。動いているものを見る、例えば、梅の花をつついているメジロとか、雲とか、バスの中から歩いている人を見るのとか。でも、スポーツは好きじゃないな。なんでだろう。自分の好きなもの、好きなことについて深く考えることも大切だが、嫌いなことを考えることも必要だろう。

 

・帰ってきて

人がたくさんいてイライラした。全員死ねばいいのにと思った。やっぱり、床に寝ると背中も猫背にならないし、頭も痛くないし、目がぱっちり開くし、なんとなく息がしやすい気がする。
肩の重さを治した方が良いと思った。いつからか、朝起きて調子が良い日もいうのが1日もない。起きると毎日、肩が痛いか頭が痛いか足が痛い時もある。両腕を上げて肩を回すのを母にやってみてと言われてやったのだが、真っ直ぐ回せなかった。このままでは10年後には肩が上がらないということになっていても、おかしくない。そうは言っても、学校で教室で、肩をぐるぐると回すことなんかできないし、猫背はもはや改善しようがない。もう諦めてもいいのかもしれない。いや、諦めたらダメだ、諦めたらそこで試合終了ですよ。ネタを言ったら卯月コウを思い出した。最近コウの切り抜きを見ているのだが、あの配信の居心地の良さがすごい。意外とコウみたいなオタクを見つけたことがなかったので、新鮮だった。私は別棟オタクからうづコウのことを知ったのだが、本当に言語化が上手いな〜と思う。想像力がすごいし、センス、、、。おりコウは尊いし、癒し、、、。