生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-4/25 バス車内にて(登校) 夢、死生観

今日はいつぶりだろうか、アラームが鳴る前に目が覚めた。私は基本的に、毎日夢を見ている。そのため、夢の続きが気になって、いつも二度寝してしまう。私の場合、完全に覚醒しなければ、少し目が冷めてしまっても、二度寝すれば、もう一度夢の続きを見ることができる。半分頭が覚めていて、半分寝ながら、自分で続きを作っていることもあるが。
今日は、夢の内容がそんなに面白くなかったんだと思う。あと、時間がどうとか、数字がどうとか、夢の中で誰かにそんな話をされた気もする。もう起きなきゃ、と無意識で思ったのかもしれない。
ベッドから降りて、下へ行くと、お母さんがえっ!?早いね、すごい! とびっくりしていた。
私は朝から機嫌が良かった。首と肩もあまり痛くなかった。
しかし、結局いつもと同じ時間のバスに乗っている。どうしてそうなったのかは些細なことなので割愛されてもらうが、私は今なんだか不思議な気持ちでいる。
これを書いているうちに、さっきまでの 今日も良くなるよ〜! という楽観的、希望的観測な思考ではなくなってきた。

頭の中で、昨日見つけた、『片方だけが燃えている』という曲が流れている。
なんだか、世界が夢の続きみたいに思える。全部夢で、このバスはどこへ辿り着くこともなく、気づけば知らない場所を走っていて、森の中を、街の上空を、海の上を、地球から飛び出して、星になって走っていくんじゃないか。そんなことを思う。
私たちは自由なのに自由ではない。今だけはそのことを、あまり嫌悪していなかった。生きている感覚があまりしない。これが夢なら、この先も夢なら、ある意味幸せなのになぁと思う。
多分、世の中にはそんな生き方をしている人もいるのだろう。それでも私は、ちゃんと苦しんで、悩んで、悲しんで、笑い、愛しながら生きていきたい。私は今死んでもまぁいいかなといつも思っているが、実際に死の危機に瀕した時、私はなんとか生き延びようとすることを知っている。私は絶対に、死に恐怖し、抵抗するだろう。こういう死生観を、私は勝手に『城の崎にて思想』と呼んでいる。"城の崎にて"は志賀直哉の、あの"城の崎にて"だ。私はあの小説が好きだ。授業中にこっそり読んで、凄く感動した。『生と死は両極ではない。』私がずっと思っていたことを、言葉にしてくれた。文章にしてくれた。こんな人が、かつて生きていたのかと感動した。それで、もう志賀直哉は生きていないという事実に、とても悲しくなった。寂しくなった。
もうすぐ学校に着くから文章は終わりだ。
気持ちはもう夜みたいだけど。