生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2024-2/21 起床 逃げ場、本当

・1時頃

さっき起きた。昨日は、1時ぐらいにもう寝てしまった。タブレットで課題をやろうとしてなんかできなくて、ムカついて、もう寝よって思って、寝た。

ずっと夢を見ていた。畳の家にみんなで集まる、空を飛ぶ、いとこが私たちを殺そうとする。断片的にしか思い出せないが、私はわりと、夢の内容を覚えていると思う。

昨日見た夢も、ちょっとは覚えている。

今日の夢は長かった。さっき、なぜか突然目が開いて、扇風機の音がして、時計を見たらもうこんな時間だった。少し起き上がって部屋を見た。誰もいなかった。そうだ、今日は私だけ休みなんだ、今日は平日だから。棚を見ると、昨日私が掃除したから、とても綺麗に整理整頓がされていて、嬉しくなった。

今日は、何もやることがない、と思って昨日やっていた課題のことを思い出し、急いでタブレットの画面を開いた。まだ大丈夫だった、明日が締切、、。

今日はこの課題とかをやって、ワークもやって、ちょっと絵を描こうかなぁ、花子くんの漫画読もう、それか、新しいアニメ見る(凪のあすから とか)、今はデュラララの気分じゃないから。

昨日、花譜ちゃんのライブ前夜の映像?みたいなのを、見た。私はいつも、花譜ちゃんの言葉で泣きそうになる。花譜ちゃんは、もう"少女"ではない、彼女はもう大人になった。そして、彼女は、"日本のどこかにいる"わけでもなくなった、彼女は確実にここにいる。廻花としての彼女、その姿はとても現実に近く、しかしそれはバーチャルで、現実ではない。カンザキさんが神椿から抜けて、今まで作ってきた"花譜"をこれからは彼女自身が作っていかなければいけなくなった。私は、カンザキさんとの、"花譜ちゃん"が好きだった。

久しぶりに彼女の歌を聞いた。その動画を見た。花譜ちゃんはもう大人だったんだな、と思った。私はこれからも花譜が好きだと思う。初めて見たYouTubeのライブの最後で、一緒に生きよう と言って手を伸ばした花譜ちゃんのことを、覚えている。

留学中、音楽に逃げることができなかった。マイクもなかったし、大声も出せなかった。

花譜ちゃんにとっての音楽は、そのようなものなのだと思った。他に違う意味ももちろんあると思うが。

確かに、創作とはある意味逃げ場なのかもしれない。言葉にできない、ならないことを、表現に変える。私にとっての逃げ場はどこだろう。文章かもしれない。私は、絵を描くのが好きだ。だけど、それを逃げ場にしているかと言われると、そうじゃない気がする。いや、絵も逃げ場だったな。最近の私が、あまり絵を描かなくなっただけだ。絵を逃げ場としなくなっただけだ。

そして、私の逃げ場のもう1つは、私がいつも寝ている、この二段ベッドの上だろう。

私は足らない。全く、足りていない。本当に絵が好きな人は、こんな文章なんか書かずに、ひたすらに絵を描いているのだろう。それを知りつつ、私は絵が好きだと言っている。好きなのは本当だと思う、そういう人たちと好きのレベルが違うのはわかってるけど。

私は文章を書くのが好きだけど、これを何か仕事に変えたいとは思わない。というか、それは絶対に嫌だ。だから私は、文字を書くことの方が、好きなのだろう。好きというか、逃げ場なのだろう。

下に降りたら、怒られるかな、起きるの遅いねって。今、このまま、ベランダに出て、そこから隣の家の屋根に飛び乗って、そうやって屋根を伝ってどこまでも行きたいと思った。

絵も文章も、無駄なものだ。いらないものだ。だけど私はその無駄を逃げ場にしている、大切なものにしている。私はいつか、自分は絵がそんなに好きになれない、頑張れないということを思い知らされるのだろう。私には、これからどうすればいいか、私が本当に何をやりたいかなんて、わからない。だからその時、一生懸命悩んで、答えを見つける。卒業する時には、18歳になるのか、カゲプロと同じ18歳。

いつか、時間が過ぎていくことを愛せたら良い。私に今できることは、結局日々を生きていくことしかないのだろう。