生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

2023-12/17 本日 創作

最近の色々なことを経て、私は私という人間と、日常について、また1つ考えることができたと思う。

 

・絵を描くことは

実は昨日、私の作品が飾ってある展示を、家族で見に行った。その時に、近くにあった他の展示も2つ見た。そのうちの1つの展示を見ていた時に、とてもレベルが高くて、見た瞬間にすごっ!とびっくりしてしまうほど画力が高く、質感の良い作品があった。母のような女性が絵の中心で床に座っていて、横を向いてどこかを見ている。女性の両隣にはソファーや椅子などがあり、透明な人型がそこに座っている。私はこれを見て、まず画力のあまりの高さに驚いたし、過去や記憶のようなものを感じた。彼女はどこを見ているのだろうと、想像させる力があった。私たち家族がそれを見て、すごい!めっちゃ上手いね!ここが良いね、などと話していると、その展示の人と男の子が近づいて来て、展示の人が、「これ、この子が描いたんですよ」と言った。そんなすぐ近くにいることに驚いたが、私はその人を見て、あぁこの人が描いてるんだ、となんだか納得した。その人は、ハーフっぽい顔で、髪は赤茶っぽく、私たちに紹介されて照れていたが、それでもニコニコしていた。なんとなく、優しい人なんだな、と思った。この人はずっと見つめているんだろうな、と思った。私はこの人が生活しながら何かを感じ、それに向き合い、ひたすらに絵を描いているのが想像できた。そんな人だった。その人はその展示の人に解説というか、コンセプトみたいなものを話していた。私たちはまだその絵を見ていたので、勝手に聞いていた。私が感じた通り、それはその女性の生活の足跡を表現していた。透明な人影は彼女がそこにいた証。遠くを見る彼女は過去に思いを馳せている。この人は、この家を去るのだろうかと私は思った。それとも、この家から誰かが去ってしまったのだろうか。この絵は私の心に残っていた。私が今回描いた絵も、そういう心情だったからだ。

私は今回の展示に参加して良かったと思う。盗める技術やアイデアのようなものは無かったが、絵を描くこと、私は何が描きたいのか、私にとって絵ってなんなのかを確認できた。

 

やっぱり絵を描くことは、生きることだと思った。言い換えれば、思考をすること。私にとって生きることは、思考することであり、信じることである。絵も、それと同じだった。思考をして、何かを信じて絵を描く。それは世界の美しさかもしれないし、自分の絵に対する情熱かもしれないし、救いかもしれない。

絵を描くことは、とても美しいことなのだと思った。きっと、それは絵を描くことだけではない。文章を書くこと、何かをつくること、生み出すこと、考えること、感情を持つこと、私たちも世界も、きっと全てが美しい。私が人間じゃなかったのなら、私は地球に焦がれ、人間に憧れ、どうして私は人間になれないのかと泣いたことだろう。けれど、私は死んだ後、未知の星で未知の生物として生まれることを望んでいる。本当になりたいのかはまだ分からないが。

私たちは矛盾ばかりで、自分勝手で、人を騙したり、傷つけたり、殺しながら生きている。でも、私はその醜さも見て、それでも私たちは生きているんだよ、それでも私たちは同じ人間として生まれてきたのだと言いたい。それが私の理想論。けれど、本当の世界の醜さは目にも当てられなくて、ただただ醜いだけだ。私はそれを全てでは無いが、少しは知っている。だから人間が嫌いだ。なのに、私は信じている。いつかきっと、自分も、人も、世界を愛せるって。

生きることは信じることだ。これは西加奈子さんのサラバ!という本の受け売りなのだけれど。

(サラバ!は、一人の人間が生まれてから大人になるまでの人生が、コミカルかつリアルに描かれていて、本当に良い小説なのでぜひ読んで欲しい。)

なんだか途中が長くなってしまったが、私は分かったのだ。私は私のことを、私が信じたいことを信じて、絵を描けばいいんだと。私は私の描きたいものを描いて、私は私の色で、私の考えで、描けばいいのだと。私は技術が足りないので、完成させても拙い絵になってしまう。でも、今回描いて、学んだこともあった。

まず、時間が足りなくなるので最初からほとんど毎日描く、固有色より光を意識する、平面的な構図をやめる (やめられるように頑張る)自分のペースでやる、次回はいつも使ってるような濁った色は使わない。まぁ、固定概念を壊すぞ!ということだ。先生が、部活で次回の展示のやつ、今から描き始めるのもいいんじゃない?と言っていたので、私は次の絵で何を描くかもう考え始めている。水が好きなのでまた水を描くか、逆に草とかを描くか、空もいいなぁとか、駄菓子屋もいいなぁ、とか。でも、次回はドット絵を取り入れて何か描きたいと思っている。ドット絵じゃなかったら、タッチを変えるとか。完全なる想像上の世界を描くのも良い。

でも、今回の絵はアイデア的にはすごく気に入っている。おばあちゃんの家のお風呂に入っていて、このお風呂いいなと思って描き始めたのだが、お風呂が好きになった。お風呂に入ることというより、お風呂という存在みたいな。(?)

体を清潔にするためのものであり、お湯がたくさん貯められていて、入ったら体が温かくなる。なんか、その概念が良い。次も新しく何かの良さに気づいて、それを描けたら良い。そんな感じで、私は絵を描くことがやっぱり好きだと思ったし、絵を描くのって素晴らしい!と思った。以上。

 

サラバ!と共に読んで欲しい本

さっき、サラバ!の話が出たと思うのだが、他にサラバ!とテーマというか人生観が似ている、良い本がいくつかあるので紹介する。

 

サラバ! 西加奈子

もう少し詳しく紹介を。

私は西加奈子さんの小説は始めて読んだのだが、コミカルに描かれていたので、読んでいて楽しかった。語りは一人称で、大人になった自分が自分の人生を振り返っているような感じ。「あなたが信じるものを誰かに決めさせてはいけない。」「自分の信じるものを見つけなさい。」という言葉が、心に残っている。

僕、圷歩(あくつあゆむ)は、平凡な家庭の2人姉弟の弟として生まれてきた。問題児で変わり者の姉。我の強い母。そんな2人を支えている父。優しくて、刺青をしているおばあちゃん。周りの人々は変わっていく。自分だけが変わらず生きている。自分だけが変わらず、何も見つけられないままでいた。

『生きているということは、信じているということだ。

僕が生きていることを、生きて続けていくことを、僕が信じているということだ。』

本当に圷歩が書いたんじゃないかと思うほどリアルで、一人の人生が描かれています。

今年の夏頃に読んだのだが、めちゃめちゃ影響を受けた。

 

スロウハイツの神様 辻村深月

辻村深月さんの本の中でも、有名な作品なので、知っている人もいるのではないだろうか。

スロウハイツという、小説家や漫画家といったアーティストの卵が集うアパートでの出来事を舞台とした作品。

『人気作家 チヨダ・コーキの小説で人が死んだ。』

この出だしの文章でミステリーかと思ったが、そんなことはなかった。創作に対するそれぞれの思い、葛藤、妬み、ぶつかり合い、その答え。大人の青春劇のように感じた。自分はなぜ書いているのか、つくっているのか。

私が生きることと絵を描くことは似ていると感じたのは、この小説の影響があると思う。スロウハイツの神様。読み始めた時と、読み終わった時ではこのタイトルの印象はガラッと変わる。

あなたには神様がいますか。あなたは誰かの神様になりたいと思いますか。

 

―光のとこにいてね 一穂ミチ

本屋大賞を取った本なので、本が好きな人なら知っているかもしれない。マンションの団地で2人の少女は出会った。2人は惹かれ合うが、周りの環境はそんなことはお構い無しに2人を離別させた。時が経ち、互いを忘れて別々の人生を送る2人。しかし、2人はまた再会を果たし、安定した"足りない"人生は徐々に崩れていく。

この作品を一言で表すのなら、まさに、『光のとこにいてね。』描写がとても綺麗だった。

 

―子供たちは夜と遊ぶ 辻村深月

私の価値観に大きく影響を与えた、大好きな小説です。(この作品は一部叙述トリックがあるので、そこについては最初の書かれ方そのままで紹介します。)

中1、中2とかそれぐらいの時に読んで、こういう小説が読みたかったんだ!!と出だしからワクワクしていた。

辻村さんの作品の中でもかなりダークで、でも薄明るくて、やっぱり優しい作品。

ある大学の生徒である4人、成績優秀で優しい狐塚、天才と言われている浅葱、狐塚の恋人の月子、狐塚とシェアハウスをしている恭司を中心に物語は進んでいく。

狐塚と浅葱は、最優秀賞を取れば留学できるという論文コンクールに応募をしていた。しかし、最優秀賞は"i"という匿名の正体不明の人物が取り、結局誰も留学することはなかった。事件から数年が経った今、ある男子高校生が行方不明になった。ただ、浅葱だけは真相を知っていた。

大人になりきれない子供たちの闇と、その中の光。それぞれが光を抱えて、闇を抱えて生きている。愛している人、自分が自分であるために大切な人。その人がいるから生きている。悲惨な過去、残酷な殺人ゲームの最後に、少しの光が見えて、物語は幕を閉じる。1番最後は、誰もいない床にスポットライトのような光だけが残されて終わっていて、それが印象に残っています。

暗いので元気がある時に読んでください。とは言っても、そんなに残酷ではないです。