生活の日記

文章を書くのが好きな人間が、ただ吐き出しています。楽しいから書いています。

アニメ 惡の華 全話感想

見終わってからブルアカにもハマってしまい、1週間経ってしまったのですが、どうしてもこの作品の感想を残しておきたかったので、書く。

このアニメを一言で言うと、

最っ高に気持ち悪いクソムシ青春劇! だ。

本当に凄かった。こんなアニメ、見たことがない。アニメというか、映像作品、芸術だ。このアニメに、"アニメらしさ"、"萌え"、"青春"を期待してはいけない。いや、まぁ青春なのだが、一般的な青春ではない。

正直、日本文学の雰囲気に近い。それぐらい丁寧に描かれているし、陰鬱な雰囲気が漂っている。

本作は、ロトスコープ、実写で実際に演じた人物をトレースして、アニメに起こすという方法を使用している。そのため、アニメと言えど、作画はとても現実に近い。

それぞれの登場人物の些細な動き、表情。時に気持ち悪くなるぐらいの、生々しい人間が描かれている。

正直、この作品は好き嫌いがかなり別れるし、『気持ち悪い』と思う人が大半だろう。実際、惡の華のアニメ化はかなり批判を受けており、評価も高くない。

 

↓このキャラが

↑アニメ化でこうなった。

 

まぁ、これは批判を受けても仕方ないとは思う。だが、私は正直アニメの方は、惡の華のテーマ"だけ"を、丁寧に、完璧に表現したと思う。漫画は、1巻と4巻〜6巻は読んだ。

と言ったが、本当に今読んだので少し感想を書きたい。やばい。私は少年のアビスが好きなんですけど、それとはまた違った悪の歪んだ青春劇だ、、、。押見修造が天才って言われるのが読んでわかった、、。これは天才だわ、、。この作品を心に刻もう。高校生でこれを読めたのはかなり良い経験だな。この作品は、思春期に読むからこその良さというものもあるだろう。素晴らしいね。続きも買ってこよ。

少々脱線したが、アニメの惡の華についての話!!

アニメは惡の華の"気持ち悪さ"を本当に良く表現できていると思う。比べて、漫画は、"青春劇"感がすごく伝わってくる。まぁ確かに、この原作を元々読んでいて、アニメがあの作画だったら、え?なにこれ、、 とはなる。だけど、アニメもアニメで良い。どっちも良い。

 

正直、最初は、この作品の楽しみ方としては、主人公の春日を、"こいつキッツwww"で馬鹿にして笑い楽しむものかと思っていた。中村さんに対してはあんまり嫌悪感などはなかった。あぁなんかこういうやついるよな、と思った。いや、いないけど。いないけど、いそうな感じで、リアルだな〜って。

まぁ、中村さんみたいなちょっとイカレたやつが元々好きになりがち。

あの有名なセリフ、

『うっせークソムシが』

が、面白いし、良かった。中村さんのことは、最初から面白ぇ女〜と思っていた。

佐伯さんのことは、よくいる特に中身ない人間だと思っていた。

そんな感じで最初はギャグ的な面白さを感じていたのだが、(春日が佐伯さんに告白した時に、中村さんが水桶ぶっかけたところがめっちゃ面白くて笑った。やっぱわかってるな!中村さん!待ってたよ!!!と嬉しかった。)

7話の最後。

あれは震えた。ついにやった。惡の華。正直、ここまでやるとは思っていなかった。ここまで本当に"惡"をやってみせるとは想像していなかった。こうやって、人は犯罪に手を染めるのかもしれないと思った。今までは馬鹿にしていた節もあった。しかし、7話の最後を見て、本当の惡だ、どうしようもない惡だと思った。言葉にならない気持ちでいっぱいになった。感動だったのか、絶望だったのか。絶望に感動したのだろう。

墨で汚れた服のまま、クソムシで満ちた閉鎖的な朝の街を、誰もいない道を、2人だけで手を繋いでゆっくりと歩いていく。

明日が楽しみだね、と屈託のない笑みを見せる中村さん。それに対して、本当にやってしまったんだと虚無感を抱える春日。

演出が凄すぎた。ロトスコープもそうだし、音楽もそうだし、見せ方もそうだし、とにかく、"惡の華"を全力で表現していた。私的には、7話終わりから最終話までは大絶賛だったな。

7話終わりからは、もう、中村さんが本当に可愛く見えてくるんだよね。本当に中村さんの作画がちょっと可愛くなってたのか、それとも、自分のフィルターがかかっていたのか。

春日の気持ち悪さはもちろん、中村さんの弱いところ、佐伯さんの気持ち悪さまで丁寧に描いていて、この作品はちょっと、他にはないぞと思った。佐伯さんみたいなキャラって、可愛く終わらせがちというか、大体そうで、実はこういう人間らしさもあるんだよ っていうレベルまでしか見せない。描かない。でも、惡の華の佐伯さんは、気持ち悪い!!!

これすごいよ。中々ない。本当に気持ち悪いし、醜いんだよね。でも、人間ってこうなんだろうなって思う。みんなイカレてる。みんな本当はおかしいクソムシ。

クラスの中で、可愛くて、成績も良くて、優等生の佐伯さんが、あんなゴミみたいな春日に執着して、みっともなく雨の中で泣き喚くわけだ。雨の中のあのシーン、本当に良かった。

 

春日は最初、『俺はみんなとは違う特別な人間なんだ!!!!!』と思い込んでいた。だからこそ、異常な中村さんを突き放せなかった。中村さんは明らかにヤベぇ奴で、言ってることもやってることも異常だし、なんだよこいつ!!!!って、すぐに突き放すこともできたはずだ。しかし彼はそうしなかった。"周りとは違う異常な人間(=特別)"である、中村さんに対して、憧れる気持ちが少しあったからだ。

そして、春日は"惡"へと落ちていった。いや、幻想が覚めて、それでも、"向こう側"を、自分の大切な何かを、見つけたかった。自分は空っぽな人間じゃないと思いたかった。でも、最後は、自分は空っぽだと認めた上で、"空っぽじゃない"中村さんを、救いたくなった。

一方、佐伯さんは、とても幼稚で、みんなの知らない私を受け入れてくれた、、という思い込みから、春日に恋をする。いや、"そういうストーリー"に恋をしていた。恋に恋をしている状態だ。春日が何をしようが、どんな異常なことをしようが、教室をグチャグチャにして、自分の体操着を盗まれようが、彼女にとってそれらは、自分の"恋物語"を燃え上がらせる燃料にしかならなかった。春日じゃなくたって良かったのだろうとしか思えない。佐伯さんがどんどんおかしくなっていくの、見ていて楽しかった。

中村さんは、最初から最後まで、中村さんだった。結局、どこにも居場所がなかったんだろう。いや、どこも居場所にしたくなかった。途中から中村さんが可愛く見えた理由、儚さを感じたからだと思う。この子、救えないなって思って、だから儚くて美しいなと思った。私はそういう、救えないキャラが好きなんだよな。

 

惡の華は最高(最低)の青春劇です。グジョグジョの氾濫した泥の川みたいな、誤って卵を握り潰してしまったみたいな。いや、これはかなりオブラートな表現だけれど。

中村さんが言ってた、『○ックス○ックスす!結局どいつもこいつもクソ○ックスがしたいだけ!!!!』っていうセリフが良かった。そうなんだよ、結局どいつもこいつもクソ○ックスがしたいだけなんだよ。中村さんが感じている"気持ち悪さ"、"クソムシ"みたいな気持ち、私もわかるなぁと思った。

誰が好きとか、誰と付き合っただの、そんなことを甲高い声で笑いながら話してるスカート短い女を見る度、気持ち悪さを感じる。恋愛ドラマもそう。

結局女と男の恋愛なんて、○ックスがしたいだけだろと思ってしまうんだよな。だから私は中性的なキャラとか、そういうことに興味無い人が好きなんですけど。なんか、気持ち悪い、汚く感じる。今はもう、大分マシになったけど。昔は自慰行為をする度に終わった後死にたくなって、泣いたりしていた。

もう今はどうでもよくなったけど。

 

だから中村さんは、確かに自称している通り変態なんですけど、"クソムシ"ではない。そういうものを気持ち悪く、最悪だと思えている彼女は、綺麗だと思う。私はもう、自分の気持ち悪さを愛しているし、気持ち悪さで楽しんでいるところすらある。

中村さんは、本当にある意味繊細で、理想が強くて、感受性が豊かな人間なんだと思う。私はそういう人が好きです。

 

<以下、惡の華とはさほど関係ない 気持ち悪さについての話>

恋愛なんて結局クソ○ックスがしたいだけだろ、という話だけど、これ、今読んでる、『恋する寄生虫』にも通ずるなぁと思った。恋する寄生虫の主人公は、本当に異常なほどの潔癖症で、他人が汚く思えて、本当に指一本たりとも触れたくないし、触れられたくない。それで、そんな主人公が言っていたのが、男らしい人とか女らしい人は気持ち悪く感じる、的なこと。これ、すっごくわかるなぁと思ったんだけど、何なんだろうな、こういう考え。

恋する寄生虫って、多分、すごく綺麗な恋愛なんだよね、ちょっとまだ読み終わってないから断定はできないけど。

コウがこの作品というか、こういうものを書く三秋縋さんを好きなの嬉しいな。でも、ウヅコウがデカいのは好きじゃないのとか、ロリが好きなのとか、そういう考えも関係してるのかな。三秋縋さんの作品って、本当に中高生に刺さりそうなもので、それをウヅコウが大好きっていうのが、本当にいいよね。コウは本当に、"中学生的な輝き"を愛しているんだなって。良い人間だわ。存在そのものがエモい。

惡の華の6巻、ついさっき読んだけど、佐伯さんが春日と○ックスしたって中村さんに言って、その後、佐伯が春日の家に来た時に、あの時中村さん震えてたよ、本当は春日くんと○ックスしてて欲しくなかったんだよ って春日に伝えていたシーンがあった。あれが本当なのかはわからないけど、少なからずそういう気持ちはあったんじゃないかなと思う。中村さんにとって春日は唯一の仲間で、隣に居てくれる存在だった。そんな仲間が穢された。クソみたいな空っぽな女に穢された。怒りより、もう裏切られたくないという悲しみ、怖さの方が多分あったんだと思う。

『どこへ行っても私は消えてくれないから。』

という中村さんの言葉。

結局これなんだよなぁ。惡の華はすごいよ。押見修造は天才、以上。